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2010年5月5日水曜日

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)

        
 みなさんお元気ですか。

 こんにちは、ケン・マネジメントの佐藤賢一(さとう・けんいち) です。

 本日も時事ネタを扱いながら、B&M(ビジネスとマネジメント)の観点からコメントを加えていきたいと思います。

 では、本日のテーマは前回に引き続き 上海万博 です。
 今回もまた、「中国のいま」を扱った本の紹介 を行います。



原題が『チャイナ・プライス』であることを念頭に読めば、中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

原題:The China Price:The True Cost of Chinese Competitive Advantage (by Alexandra Alexandra)

 日本語と中国語に堪能な米国人経済ジャーナリストが複眼的に見た中国の生産現場のリアル。原題は『チャイナ・プライス』(The China Price:中国価格)である。
 生産現場における労務管理の実情だけでなく、米国の世界的ブランド企業や巨大流通業の中国におけるビジネスの現場にも踏み込んで話を聞き出しているので、読んでいてきわめてリアリティが高いと感じるだけでなく、「チャイナ・プライス」が生み出される構造と、今後の行方についてもヒントを得ることができる。
 したがって、日本語版のタイトルは適切ではない。また帯のコピーが「これはまさに中国版「蟹工船」」というのも、日本語版出版当時の世相を反映したものだが、扇情的すぎるし一面的に過ぎるので本書の価値を損ないかねない。

 前半では、華南の広東省を中心にした消費財分野(アパレル、シューズ、玩具などの日用品や家電製品)の中国企業の生産現場を記述している。労務管理の実態と労働環境は、労働者自身による証言やさまざまな中国人労働者のライフストリーを語らせており、読み物としても興味深い。
 「世界の工場」となった中国について、著者は19世紀英国で発生した産業革命に匹敵する「第二の産業革命」といっているが、たしかに生産現場での労働状況をみるかぎり、直接は言及されていないが、フリードリヒ・エンゲルスが書いた『イギリスにおける労働者階級の状態』(一條和生/杉山忠平、岩波文庫、1990)を想起させるものがある。つまり本書はルポルタージュとしても中身が濃いということだ。

 本書は、基本的に米国人読者向けに英語で書かれた本なので、米国の消費者の関心が高いテーマに焦点をあてている。その意味では、本書の最大の読みどころは、後半の「第7章 損得勘定と社会的責任」であろう。1992年に大きく火を噴いたナイキの「搾取工場」(スウェット・ショップ)問題のメカニズムと構造について、中国の生産現場を舞台に描いているのが特筆すべき特色だ。
 米国の世界的ブランド企業や巨大流通業のサプライチェーンの末端に位置づけられる中国の工場。これらの米国の大企業にとって、中国の工場は自社工場ではなく、国際分業の一環として、あくまでもアウトソーシング先の下請け工場として位置づけられている。
 「チャイナ・プライス」を実現させた要素は、米国企業の立場からみれば製品のコモディティ化にともなう生産のモジュール化、IT化、オフショアリング。一方、低賃金で無尽蔵に供給され続けた中国の労働力。この両者がジャストミートした結果うまれてきたものだ。
 こういう事情については、日本のマスコミではほとんど取り上げられないので日本人にはピンとこない問題かもしれない。日本メーカーの場合、ユニクロやEMSに生産委託している一部の家電メーカーを除けば(*この点については、<書評への付記>を参照)、消費財メーカーは中国人が経営する工場に生産委託は行わず、自ら現地生産するのが当たり前になっている。労務管理も生産管理も、5Sなど日本流を徹底させているのが当たり前だ。中国人ワーカーを使うにあたっては、そもそも日本企業と米国企業とではアプローチの仕方に違いがあるのだ。
 低価格の製品を望みながら、一方ではCSR(企業の社会的責任)の観点からコンプライアンスを要求する米国の消費者の要求に応えるため、米国の大企業はとくに生産労働者の労務実態について、AS8000という「ソーシャル・コンプライアンス監査」を中国の工場に対して実施しているのだが、この実態についての記述を読んでいると、一筋縄ではいかない問題であることが実感される。そもそも中国は「上に政策あれば下に対策あり」という国柄だ、納入先の米国企業の政策に対して、地場の中国企業がとる対策は、なんだかイタチごっこのような感さえある。

 著者に指摘されてはじめて気がついたのは、「改革開放」から30年が経過した現在、出稼ぎ労働者はすでに第一世代ではないということだ。「第二世代」は農村出身者ですら「一人っ子」政策の申し子なのだ! しかも農業体験なしで、いきなり農村から都市に出稼ぎにきている。すでにさまざまな労働問題を経験してきた中国の労働者は労働法にも詳しくなってきているという、訴訟社会中国の実態。
 労働現場の是正への方向性にむけた動きが、なぜ必ずしも効果的に進まないのか、そのメカニズムについて多面的に考察した著者は政府の役割に大きく期待しており、中国で新しい「労働契約法」が2008年1月から施行されたことが、労働法制において大きな転換点になることを指摘して本書を閉じている。

 とかく一面的にみがちな中国ビジネスと中国の労働問題だが、本書で展開される「複眼的な見方」で見直してみると、中国と中国ビジネスの今後について考えるための多くのヒントが書かれていることに気がつくはずだ。
 バランスのとれた記述が、とくに後半に向けて展開されていくので、中国に関心のある人はビジネスパーソンも含めて、ぜひ最後まで目を通すことをすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「原題が『チャイナ・プライス』であることを念頭に読めば、中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本」投稿掲載2010年5月4日






<書評への付記>


原題:The China Price:The True Cost of Chinese Competitive Advantage の意味するところ


 原題:The China Price:The True Cost of Chinese Competitive Advantage を直訳すれば、「中国の競争優位性の真のコスト」というきおとになろう。この cost というコトバは、原価にしめる「コスト」でもあり、「犠牲」や「代償」という意味にも解釈できる。
 「プライス」をタイトルにしているので、おそらく両義的な意味合いが込められているのであろう。「中国価格」を構成する原価のうち、わずかな部分をしめるに過ぎない中国製造の「コスト」は、中国価格を実現するための工場労働が支払わねばならない犠牲や代償を指しているのだ、と。

 こういったことを念頭においておけば、訳文はこなれて読みやすいし、なによりも地名などの固有名詞が特定されているので、英語よりは読みやすいはずだ。ただし、「ブランド業者」などというおかしな訳語も散見される。原文がどうなっているのか知らないが、ナイキやティンバーランドなど、世界的な有名なブランドをもつ米国の大企業のことを指している。


著者のアレクサンドラ・ハーニー(Alexandra Harney)について

 日本語にも中国語(普通話)にも堪能な米国人経済ジャーナリストで、英国の FT(Financial Times)の記者をやっていた人。略歴(英語)はここを参照。http://thechinaprice.org/AboutAuthor.html
 「The China Price」というウェブサイト(英語)をもっているので紹介しておこう。
http://thechinaprice.org/home.html
 なお、著者の blog である The China Price には、著者が寄稿した記事が、日本語のものもリンクされている。
 http://thechinaprice.blogspot.com/
 なお、本書『チャイナ・プライス』出版以後については、日経ビジネス・オンラインのインタビュー記事を含めた6回の記事を参照。



オフショアリングについて
 
 オフショアリング(offshoring)とは、研究開発から試作設計を経て量産、そしてマーケティングとセールスに至る製造業の一連のフローから、製造(=量産)にかんする部分をアンバンドル(分離)し、生産コストの低い海外で生産を行う経営戦略をさす、経営専門用語である。米国企業がかなり以前から採用している戦略である。
 本書にもでてくるスポーツ関連製品のナイキやテインバーランド、玩具メーカーのマッテルといった世界的なブランド企業だけでなく、ウォルマートに代表される巨大流通業も積極的に推進してきた。
 本書でも詳しく取り上げられているように、かつてはメキシコの米国との国境地帯に設置されていた特区マキラドーラで行われていたオフショアリングも、いまでは完全に中国に移管、さらには東南アジアやアフリカに移転も始めている。ローコストでの調達戦略といいかえてもいい。

 製造業の観点からいえば、いわばファブレス(fabless=工場をもたない)製造業といってもいい形態であり、流通業の開発輸入によるPB(プライベート・ブランド)も同様の形態である。
 こういったファブレスメーカーにおいてカギとなるのは、アウトソーシング先である下請けの中国メーカーで製造される製品の品質保証(QA)機能であり、工場における品質管理(QC)の管理と監査である。

 ここまでなら米国企業であれ、日系企業であれ共通する話なのだが、こと中国においては、「搾取工場」(sweat shop)問題が米国内でわき起こり、ナイキを筆頭に消費者団体によって追いつめられ、ブランド毀損が懸念され事態に追い込まれた企業もある。米国企業の基本スタンスが、自社工場ではないので自社の雇用する従業員ではない、というものだったからだろう。
 「搾取工場」とは文字通り、労働者を搾取して利益を上げている企業というレッテル貼りの表現だが、製造現場における労働状況にかんするものである。ただしく労働者が扱われているかどうかも含めた監査が、いわゆる「ソーシャル・コンプライアンス監査」であり、米国の大企業は風評被害や、レピュテーション・リスクをミニマムにし、ブランド毀損を防ぐため、「ソーシャル・コンプライアンス監査」を行っていることを強調せざるを得ないのである。
 「SA8000」は、ソーシャル・アカウンタビリティー・インターナショナル (Social Accountability International, SAI) による、就労環境評価の国際規格のことである。世界人権宣言や児童の権利に関する条約、国際労働機関 (ILO) の諸条約を基に作成したものである。主に、消費財分野の米欧の世界的大企業が参加している。

 正確にいうと、日本企業でも米国と同様のオフショアリングは行っている。誤解を生んだらいけないので補足しておくが(・・ハーニーの本は、華南の軽工業について書いているので、私もウッカリしていた)、たとえば、日本でもJTが生産委託していて問題になった冷凍餃子の例があるように、食品製造の分野では例が多い。また、「100円ショップ」のダイソーなども同様に、中国の下請けメーカーに製造を委託している。このほか、日本企業が中国メーカーに生産委託している例は無数にあるが、少なくとも世界的なブランド企業の日本メーカーで、米国企業のように完全にファブレスに徹しているものはないといってよい。
 日本のハイテクメーカーや家電メーカーは、中国においても自社工場での製造が中心で、協力工場に生産委託することがあっても、労務問題でトラブルにならないように細心の注意を払っているのが実情である。これがコスト高の要因となっているといわれることもあるが、日本企業は比較的誠実にやっているといっていいだろう。

 米国企業のとるオフショアリング戦略という国際分業については、一長一短があるが、製造業における中国との国際分業だけでなく、ソフトウェアの分野ではインドとあいだで国際分業が行われていることは比較的よく知られていることだろう。
 このオフショアリングが、いい悪いは別にして、米国企業の(・・米国ではなく、あくまで米国企業の)競争優位性を作り出していることは特記しておかねばならない。
 日本企業も過度に「ものつくり」を強調しすぎないことも必要なのではないだろうか。

 オフショアリングについては、また別途取り上げることとしたい。日本企業が研究すべき、重要な経営手法であることは否定できないからだ。