『「空気」を変えて思いどおりに人を動かす方法』というタイトルに惹かれて読んで見ることにしました。
「レビュー+」からレビューを依頼されてのことですが、「個と組織」の問題を考えるうえでなにかヒントになるものがあるかもしれないと思ったからです。
読んでみてわかったのは、重点が置かれているのは後半の「思いどおりに人を動かす方法」のほうのようでした。
■人間は概して思い込みや固定観念に支配されやすい
「空気」を読め、「空気」に流されるなとはよくクチにされますが、「空気」そのものは目に見えるもlのではありません。「空気」は感じるものだからです。
二人以上の人間集団のあいだで形成されるのが「空気」です。しかし「空気」を生み出す源泉は、個々の人間のアタマとココロの内部ということに注意しなくてはなりません。
「空気」そのものは無色透明ですが、それを淀んでいると感じるか、澄んでいると感じるかはあくまでも当の本人の感じ方次第です。つまり「空気」は事実として存在していても、人間の感じ方はパーセプション(認識、知覚)であるわけです。
二者間で意見の不一致が生まれるのは、それぞれのパーセションが重なり合わないからです。
目的をもった3人以上の人間集団であれば「組織」といっていいでしょう。3人の場合、多数派の2人にとって当たり前の「空気」であったとしても、少数派の1人にとってそうではないと捉えられることがあります。多数派にとっては無意識に当たり前だとしても、少数派は意識せざるをえないからです。
人間は概して思い込みや固定観念に支配されやすい存在です。「そうだ、そうだ」という「共感」が得られると、そこに「空気」が形成されます。「流れ」といっていいかもしれません。
著者は、「空気」について4つのタイプがあると分類しています。
これだけでは抽象的すぎますが、要は意識的に「空気」を形成することができるということを意味しています。しかも知っていて意識的に操作する人間が、組織もふくめた人間集団内に存在するということを意味しています。
著者は、それぞれのタイプごとに、「思いどおりに人を動かす方法」について、スキルとテクニックが解説しています。思い込みや固定観念からみずからを解き放ち、それによって他人の間違いも気付かせてあげることは可能だと著者は言うわけです。
■しかし「空気」を変えるのは難しい
「空気」が生まれる理由、「空気」を操るスキルやテクニックは、アタマでは理解できなくはありません。しかしながら、この本を読んでいても、最後の最後まで疑問が残ります。
二者間のコミュニケーションギャップを解消するのは、本書で紹介されているスキルやテクニックをつかえば可能でしょう。
しかし3人以上の人間集団である組織内ではどうなのでしょうか?
自分が主導権を握って「空気」つくりを仕掛けていくのであれば、組織内であっても「空気」をつくるのは不可能ではないと思います。変えるよりも、あらたにつくるほうが容易だからです。
しかし、多くのビジンスパーソンにとっての悩みとは、組織内で少数派になったとき、言いたいことも言えずに、意に反して「空気」に流されてしまうということではないでしょうか? たとえ理路整然と意見を述べても。その場の「空気」にを変えることはできない、それどころか「空気」を読めないヤツだと評価を大幅に下げてしまう危険。
「空気」についてはじめて指摘したのは評論家の山本七平ですが、本書にも「空気」の変え方についての前近代社会の日本人の知恵が紹介されています。「水をさす」という手法です。多数派が失念していた意表外な発言をして、その場の「空気」を消滅させてしまうテクニック。これは劇的な効果があります。
しかし、著者が称賛する白洲次郎や出光佐三などは、憧れる人は多いものの、ほんの一握りの例外的な存在です。彼らはナショナリストの日本人でありましたが、日本社会から突き抜けたところのあった、いわば「非日本的な日本人」だったというべきでしょう。ですから真似しようとしてもじつはきわめて難しい。彼らは「空気」など、はなから相手にしていないのです。
フツーの日本人は、先輩後輩や入社年次などの上下関係や、出身地や出身校などの組織図には表現されていない同調圧力のつよい「非公式組織」で動いている面が多々あるので、正論が正論としてそのまま通用するわけではないのです。だからこそ少数派は悩む苦しむわけです。
組織内で「空気」が固定すると「世間」になるのです。残念ながら本書には「世間」についての考察がありません。「空気」と「組織」の関係については、『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)を読んでいただきたいと思います。
「世間」についてまで突っ込んで考察しないと、日本人によって構成されている組織の問題を解決することはできません。
■スキルやテクニックはただしい使用法を守るべし
著者が解説するスキルやテクニックは、それ自体としては正しいとしても、適切な使用を間違えると命取りになる危険があります。
多数派が形成する「空気」に異論を述べる者は、それが正論であればあるほど、よけいに命取りになる危険が高いからです。
だからこそ、「思いどおりに人を動かす方法」は、組織内でのコミュニケーションのあり方まで踏み込んで実行する必要があるのです。そのために必要なのは徹底的な「観察」です。観察は読みと言い換えてもいいかもしれません。
効果的な発言は適切な読みがあってこそパワーを発揮するもの。結局は「空気」を読まないと「空気」を変えることはできないわけなのですね。
でなければ、なかなかむずかしいものがありますが、白洲次郎のように、自分自身が突出した存在、打たれないほどの「出過ぎた杭」になってしまうことです。そういう存在になってしまえば、「空気」をつくるのは簡単です。
あるいはダイバーシティ(多様性)を組織に導入して異質な「空気」を導入することです。しかしそれもまたかならずしもうまくいくとは限りません。
したがって、本書で紹介されているスキルやテクニックは、適切な使用法をまもって実践の場で使用していただきたいと思うわけです。
PS. この書評は、R+(レビュープラス)さまより献本をいただいて執筆したものです。
「レビュー+」からレビューを依頼されてのことですが、「個と組織」の問題を考えるうえでなにかヒントになるものがあるかもしれないと思ったからです。
読んでみてわかったのは、重点が置かれているのは後半の「思いどおりに人を動かす方法」のほうのようでした。
■人間は概して思い込みや固定観念に支配されやすい
「空気」を読め、「空気」に流されるなとはよくクチにされますが、「空気」そのものは目に見えるもlのではありません。「空気」は感じるものだからです。
二人以上の人間集団のあいだで形成されるのが「空気」です。しかし「空気」を生み出す源泉は、個々の人間のアタマとココロの内部ということに注意しなくてはなりません。
「空気」そのものは無色透明ですが、それを淀んでいると感じるか、澄んでいると感じるかはあくまでも当の本人の感じ方次第です。つまり「空気」は事実として存在していても、人間の感じ方はパーセプション(認識、知覚)であるわけです。
二者間で意見の不一致が生まれるのは、それぞれのパーセションが重なり合わないからです。
目的をもった3人以上の人間集団であれば「組織」といっていいでしょう。3人の場合、多数派の2人にとって当たり前の「空気」であったとしても、少数派の1人にとってそうではないと捉えられることがあります。多数派にとっては無意識に当たり前だとしても、少数派は意識せざるをえないからです。
人間は概して思い込みや固定観念に支配されやすい存在です。「そうだ、そうだ」という「共感」が得られると、そこに「空気」が形成されます。「流れ」といっていいかもしれません。
タイプ1 問題への「問い」を設定することで生まれる「空気」
タイプ2 思い込みに誘発されて生まれる「空気」
タイプ3 検証、測定による偏った理解から生まれる「空気」
タイプ4 選択肢を限定したことで生まれる「空気」
これだけでは抽象的すぎますが、要は意識的に「空気」を形成することができるということを意味しています。しかも知っていて意識的に操作する人間が、組織もふくめた人間集団内に存在するということを意味しています。
著者は、それぞれのタイプごとに、「思いどおりに人を動かす方法」について、スキルとテクニックが解説しています。思い込みや固定観念からみずからを解き放ち、それによって他人の間違いも気付かせてあげることは可能だと著者は言うわけです。
■しかし「空気」を変えるのは難しい
「空気」が生まれる理由、「空気」を操るスキルやテクニックは、アタマでは理解できなくはありません。しかしながら、この本を読んでいても、最後の最後まで疑問が残ります。
二者間のコミュニケーションギャップを解消するのは、本書で紹介されているスキルやテクニックをつかえば可能でしょう。
しかし3人以上の人間集団である組織内ではどうなのでしょうか?
自分が主導権を握って「空気」つくりを仕掛けていくのであれば、組織内であっても「空気」をつくるのは不可能ではないと思います。変えるよりも、あらたにつくるほうが容易だからです。
しかし、多くのビジンスパーソンにとっての悩みとは、組織内で少数派になったとき、言いたいことも言えずに、意に反して「空気」に流されてしまうということではないでしょうか? たとえ理路整然と意見を述べても。その場の「空気」にを変えることはできない、それどころか「空気」を読めないヤツだと評価を大幅に下げてしまう危険。
「空気」についてはじめて指摘したのは評論家の山本七平ですが、本書にも「空気」の変え方についての前近代社会の日本人の知恵が紹介されています。「水をさす」という手法です。多数派が失念していた意表外な発言をして、その場の「空気」を消滅させてしまうテクニック。これは劇的な効果があります。
しかし、著者が称賛する白洲次郎や出光佐三などは、憧れる人は多いものの、ほんの一握りの例外的な存在です。彼らはナショナリストの日本人でありましたが、日本社会から突き抜けたところのあった、いわば「非日本的な日本人」だったというべきでしょう。ですから真似しようとしてもじつはきわめて難しい。彼らは「空気」など、はなから相手にしていないのです。
フツーの日本人は、先輩後輩や入社年次などの上下関係や、出身地や出身校などの組織図には表現されていない同調圧力のつよい「非公式組織」で動いている面が多々あるので、正論が正論としてそのまま通用するわけではないのです。だからこそ少数派は悩む苦しむわけです。
組織内で「空気」が固定すると「世間」になるのです。残念ながら本書には「世間」についての考察がありません。「空気」と「組織」の関係については、『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)を読んでいただきたいと思います。
「世間」についてまで突っ込んで考察しないと、日本人によって構成されている組織の問題を解決することはできません。
■スキルやテクニックはただしい使用法を守るべし
著者が解説するスキルやテクニックは、それ自体としては正しいとしても、適切な使用を間違えると命取りになる危険があります。
多数派が形成する「空気」に異論を述べる者は、それが正論であればあるほど、よけいに命取りになる危険が高いからです。
だからこそ、「思いどおりに人を動かす方法」は、組織内でのコミュニケーションのあり方まで踏み込んで実行する必要があるのです。そのために必要なのは徹底的な「観察」です。観察は読みと言い換えてもいいかもしれません。
効果的な発言は適切な読みがあってこそパワーを発揮するもの。結局は「空気」を読まないと「空気」を変えることはできないわけなのですね。
でなければ、なかなかむずかしいものがありますが、白洲次郎のように、自分自身が突出した存在、打たれないほどの「出過ぎた杭」になってしまうことです。そういう存在になってしまえば、「空気」をつくるのは簡単です。
あるいはダイバーシティ(多様性)を組織に導入して異質な「空気」を導入することです。しかしそれもまたかならずしもうまくいくとは限りません。
したがって、本書で紹介されているスキルやテクニックは、適切な使用法をまもって実践の場で使用していただきたいと思うわけです。
PS. この書評は、R+(レビュープラス)さまより献本をいただいて執筆したものです。
目 次
プロローグ 「空気」とは何か?
第1章 「空気」を動かすことがなぜ重要なのか?
「空気」を動かせることが名将の条件
突然1000億円の借金を背負ったら・・・・
「会社の悪口を言う会議」で業績が上がる?
米国では、弁護士は「空気」を武器にする
男女の仲が突然おかしくなるのも「空気」のなせる業
第2章 「空気」の違いを知る
タイプ1 問題への「問い」を設定することで生まれる「空気」
タイプ2 思い込みに誘発されて生まれる「空気」
タイプ3 検証、測定による偏った理解から生まれる「空気」
タイプ4 選択肢を限定したことで生まれる「空気」
史上最高のサッカー監督のひとり、ジョゼ・モウリーニョ
零戦の悲惨な敗北を生み出した「空気」
婚活や合コン、結婚生活と「空気」の関係
第3章 「空気」を動かす方法
スキル1 現実に対して新しい「問い」を設定する
スキル2 体験的な思い込みを解消する
スキル3 検証、測定による偏った理解を正す
スキル4 選択肢を増やして可能性を高める
「空気」を動かすことで、敗者も勝者に生まれ変わる
過去の公害問題と戦争の「空気」から学ぶこと
会議やプレゼンの段取りよい進行と「空気」
上手なクレーム対応と「空気」の関係
第4章 「空気」を読めるとは、どういうことなのか?
一流の人、粋な人は美しく「空気」を読んでいる
従順奈良座rう唯一の日本人と評された人物
『海賊とよばれた男』のモデル、出光佐三の驚くべき突破力
京セラ創業者、若き稲盛和夫氏を育てた人物の心意気
Power of Dream ホンダと「空気」を動かす威力
第5章 「空気」を動かすテクニック
テクニック1 現実に対して新しい「問い」を設定する
テクニック2 体験的な思い込みを解消する
テクニック3 検証、測定による偏った理解を正す
テクニック4 選択肢を増やして可能性を高める
「空気」を動かすためのキラーフレーズ
あとがき
「空気」は使い手によって、勝利への武器、悲劇の芽となる
著者プロフィール
鈴木博毅(すずき・ひろき)
1972年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒。ビジネス戦略、組織論、マーケティングコンサルタント。MPS Consulting代表。 貿易商社にてカナダ・豪州の資源輸入業務に従事。 その後、国内コンサルティング会社に勤務し、2001年に独立。 戦略論や企業史を分析し、新たなイノベーションのヒントを探ることをライフワークとしている。 わかりやすい解説の講演、研修は好評を博しており、顧問先には著名ランキングで顧客満足度1位の企業や、特定業界で国内シェアNo.1企業など成功事例多数。 日本的組織論の名著『失敗の本質』をわかりやすく現代人向けにエッセンス化した『「超」入門 失敗の本質』(ダイヤモンド社)の他、 著書に『ガンダムが教えてくれたこと』 (日本実業出版社)、『超心理マーケティング』(PHP研究所)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<関連サイト>
●タガメとカエルが築いた偽装の王国の罪(深尾葉子)
放送禁止用語になった「タガメ女」 (深尾葉子、日経ビジネスオンライン、2014年4月4日)
タガメの共食いが作り出す「ママ友社会の闇」 (深尾葉子、 日経ビジネスオンライン、2014年4月18日)
激化するカエル男争奪戦が少子化を加速する-ジャンボジェットと共に消えた? ロスジェネの夢 (深尾葉子、 日経ビジネスオンライン、2014年5月2日)
タガメとカエルが築いた偽装の王国の罪-90年前に問題視されていた「退化婦人(タガメ女)」 (深尾葉子、 日経ビジネスオンライン、2014年5月16日)
・・深尾氏は使用していないが「世間」がつくりだす「空気」について、「タガメ女とカエル男」について書かれた著書ほど的確にえぐりだしたものはない。大阪大学経済学部教授の深尾葉子氏は、『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』(講談社プラスアルファ新書、2013)、『日本の社会を埋め尽くすカエル男の末路』(講談社プラスアルファ新書、2013)の著者。この両書をよめば、日本の「企業社会」がいかなるものか、理解が深まることだろう。なぜ日本の組織では「事なかれ主義」という「空気」が充満しているのかについて。
<ブログ内関連記事>
書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「壊れた『世間』にかわって現在の日本人、とくに若い人たちを支配して猛威をふるっているのが『空気』だという指摘は、実に納得いくものである」「安定した状態ではその組織なり人間関係の中で『世間』が機能するが、不安定な状態では『空気』が支配しやすい。/『世間』が長期的、固定的なものであるのに対し、『空気』は瞬間的、その場限りの性格が強い」。
ネット空間における世論形成と「世間」について少し考えてみた
ネット空間における「世間」について(再び)
書評 『醜い日本の私』(中島義道、新潮文庫、2009)-哲学者による「反・日本文化論」とは、「世間論」のことなのだ
集団的意志決定につきまとう「グループ・シンク」という弊害 (きょうのコトバ)
・・グループシンクという「空気」がつくりだす「集団浅慮」のワナ
映画 『es(エス)』(ドイツ、2001)をDVDで初めてみた-1971年の「スタンフォード監獄実験」の映画化
・・視線という権威、権力が支配する空間が「世間」。集団同調圧力は日本人以外にも働くのである
映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」
・・「世間」も「空気」も特殊日本的現象ではない
・・プリンシプルをもった生き方とは日本人離れしたということ。つまり世間のしばりにとらわれない生き方だ
「人間尊重」という理念、そして「士魂商才」-"民族系" 石油会社・出光興産の創業者・出光佐三という日本人
・・日本人の精神のあり方を説いていた出光佐三自身はきわめて「突出した日本人」であった
朝青龍問題を、「世間」、「異文化」、「価値観」による経営、そして「言語力」の観点からから考えてみる
書評 『プロ弁護士の「心理戦」で人を動かす35の方法』(石井琢磨、すばる舎、2013)-「論理」だけに頼らず「心理」を大いに利用すべし!
(2012年7月3日発売の拙著です 電子書籍版も発売中!)
Tweet
ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。
ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。
end