2011年4月19日火曜日
キュレーション (きょうのコトバ)
最近、「キュレーター」や「キュレーション」というコトバが知られるようになってきました。
日本を根本的に変えてしまうような「大地震」と「大津波」という激甚災害が発生するなどとは考えもしていなかった。しかも、その後に起こった「原発事故」という人災。
このトリプルで発生した天災と人災のなか、ネットの世界では「キュレーション」のもつ意味と重要性がこれほど実感されるようになってきたのです。
災害情報を手際よく整理し、ツイッターで流し続ける「キュレーター」の数々。「原発事故」の報道ををつうじて、多くの人が日本のマスコミには不信感を募らせているなか、かれらの果たしている役割がいかに大きいか、じっさいにツイッターやフェイスブックなどをやっている人は、よく実感されていることと思います。
「キュレーション」というコトバが知られるキッカケとなったのは、佐々木俊尚氏の新著『キュレーションの時代-「つながり」の情報革命が始まる-』(ちくま新書、2011)です。
「キュレーター」といえば、日本では一般に美術館や博物館の学芸員のことをさしています。
専門知識のバックグラウンドもとに美術展などを企画し、作品を借りる交渉を他の美術館や個人収集家と行い、作品解説やキャプションを書き、カタログを執筆して編集し、イベントとしての美術展を成功させる専門職のことですね。
その「キュレーター」がやることが「キュレーション」ですが、ではなぜ「キュレーター」や「キュレーション」が、ネットの世界で使われるようになってきたのでしょうか?
キュレーターの役割を抽象的にいえば、作品という個々のコンテンツに「場」というコンテクスト(=文脈)を与えることにあります。同じ作品であっても、企画内容や展示の仕方によって、つまりその他の作品との関係において、それを見るものの印象は大きく異なってきますよね。新しい発見もあれば、自分のものの見方に安心感を得ることもある。
つまりキュレーターの役割は、情報を整理して見せる、その見せ方そのものにあるといえるわけです。いいかえれば、ある特定のものの見方の提供といってもいいでしょう。
こういった「キュレーター」たちの存在がネット上には無数に存在していることに気がつかないと、これからの世の中を見誤ることにもなりかねません。キュレーターやキュレーションをそのような意味で使うのは、米国のネット世界から始まったらしいです。curation というのは英語としても新語のようです。
ある特定のカテゴリーに属する情報について、個々人がその真贋のすべてを判断することは容易なことではありませんが、信頼性の高いキュレーターが仕分けしてコンテクストという付加価値をつけて整理した情報は、二次情報であっても抵抗なく受け取ることができますよね。
こういった「キュレーター」を情報源としてストックしておくことは、かつてよくいわれた「ノウハウではなくノウフーが重要だ」というアドバイスにつうじるものがあるでしょう。ノウフーとは Know-Who のことです。たとえ、リアルの知り合いでなくても、十分にその役割を果たしているといえるでしょう。
ネット世界が、ますますリアル世界と融合していく方向にあるなか、「キュレーター」と「キュレーション」の役割はますます大きくなっていくことでしょう。
<関連サイト>
書評 『キュレーションの時代-「つながり」の情報革命が始まる-』(佐々木俊尚、ちくま新書、2011)
・・姉妹編の「アタマの引き出しは生きるチカラ」に掲載。「キュレーション」や著者にかんする情報については、こちらのブログも参照してください。
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